ルワンダ回想録⑰子育てあり・なしの駐在生活 両方経験してみての違いからの。

2016年12月17日 【子育てあり、なし、の駐在生活も両方体験してみての違いからの。】
  ザンビアに駐在していた時は、とても自由な時間がありました。ありすぎというくらい。自分の時間をどう使おうかで悩んでいたくらいです。
 幸い、ボランティア活動に人が足りなくて声をかけてもらい、自分の車がきてすぐから運転を練習して一週間で50リッターは使うほどがたがたでこぼこ道をジャンジャン走っていました。
  駐在者の中でボランティアを除き一番若かった私だけど、車のない方もよく乗せて送り迎えをしていたし一番混むタウンも安全に最深の注意を払いながら運転してたっけ。
  お菓子作りとお料理を覚えて帰るだけの駐在にはしたくない、という変なポリシー?から拾ってもらえるNGOではお手伝いをし、時間を見つけては孤児院や地域の小さな学校を訪ねて色んなことを教えてもらう日々でした。
  国際協力についてのバックグラウンドがないことに変な焦りをその頃から抱えていたのかもしれません。
 何も勉強してこなかったのに、自分は何の役にも立たない、みたいな。。。


 それは、さておき。 その頃は、定期的に奥様の集まりもあり、情報収集や人間関係も築きながら困ったときはいつでも助けて貰える素敵な人たちに出会い、そのご縁は今でも続いています。
 子どもが居てもいなくてもみんな仲良しでよくお互いの家を行き来したり、お子さんを一晩預かったり、泊まりにいったりまでしていました。
 妊婦さんを労わったり、赤子を連れての病院に付き添い介助したり。
  その合間に自分の趣味であるテニスをしたり乗馬に通ったりヨガをしたり24時間では足りないくらい走り回っていました。
 ルワンダに来て子どもが居る駐在生活は、何をおいてもまず子どもの安全が一番。心身ともに健康で居ることとが一番の優先事項になります。
 日本での育児生活と違うところは、まず食生活。 コンビニやスーパーで買う出来合いや菓子パンなどほとんど売っていないことで必然的に量が激減します。
 私は添加物やオーガニックなどストイックに気にしていた人ではなかったので 選択肢が多い日本でも経済的なこともあり極普通に、パン屋さんで買うパンを与えたりスーパーやコンビニのパン、たまにはおにぎりも買い与えていました。
 早くて簡単、というところを 利用していた訳です。
  ところが、ルワンダにはそういった便利なものがない。
 お陰で今ではおやつは生のニンジンをボリボリかじっている息子。とても健康的です。
 学校でもチョコレートは言語道断、甘いお菓子や しょっぱいお菓子も禁止。野菜、フルーツ、チーズ、ヨーグルト、サンドイッチやおにぎりをスナックに持たせます。
  朝食べるパンもすぐにカビが生えるような保存料が入っていない食パン。または、自分で焼くパン。
 普段の食事もバラエティーは余りありませんし、新鮮な魚介もありませんし、輸入食材は高いので物価は高いですが、シンプルな食生活。多少乾物は日本からも送りやすいので海苔やひじき、高野豆腐、出汁などは持って来ています。
 2年経たなければ基本的に一時帰国の費用が出ない我が家は、賞味期限が切れていても調味料は貴重品。航空便で送ってもらった味噌のパッケージがやや破裂してようが関係ありません。
  子どもたちがいることで大きく違うことは、物質的な面で言えば、日用品もたくさん必要なこと。
 文房具や折り紙、粘土、シャボン玉、風船などあればあるだけ欲しいですが、 ルワンダではほぼ手に入らない。
 または、中○からの粗悪品なのに高いもの、です。
  英語で過ごす時間が長いことから、日本語を家で勉強する時間を設けることは大事でひらがなの練習帳や鉛筆・消しゴム・鉛筆削りも必要です。贅沢を言えばノートやお絵かき帳もですが、 高くてもヨーロッパからの輸入品をたまーに買ってあげたり誕生日プレゼントで頂いたお絵かきセットを使ったり、の消耗品事情。
 これもまた、一歩外に出ればストリートチルドレンがいて、塀を超えれば彼らには一生住めないであろう暖かい!?かどうかは微妙だが雨露をしのげる家があり比べればスーパーリッチな私たち。


  そんな中自分の子どもたちだけが十分なおもちゃや文具に囲まれているのも複雑な心境なわけです。
 もちろん我が子には最善を尽くしてあげたいのが親の心境だしあるならお金をかけてあげるべきだという考えもあります。
 ストリートチルドレンに施しをすることがその状況を救う訳ではないことも頭では分かっている。
  例えば、習い事にしてもそうです。自分の息子を通わせている空手道場は、週3回のレッスン日があり、何回参加しても月の月謝が10,000RWF。 日本円にしておおよそ1300円程度です。
 もちろん日本人にしてはスーパー安いのですが、ルワンダ人にも同じく門戸を開こうというのがこの月謝の意味です。
  富裕層クラスの子どもはは別でしょうが、苦労して入れている親子は必死です。
 そして、学校という軸が入ることで英語を使う機会が断然増えること。学校行事があること。日本人以外のお友達とのお付き合いが望めば豊富にあること。 誕生日パーティー文化、というものとの出会い(笑) 様々なバックグラウンドの方と交流することができます。
  子どもたちを含め、自分たちの生活レベルをストリートに合わせることが仕事ではない。もっと大きな視点で物事を考えなければ開発援助は行い得ない。
  でも、目の前の現状を無視できないのが人情というものです。つい構ってあげたくなるのですが、施しはしません。
 笑顔でその子と少しの時間を共有すること、それくらいはできるかもしれない。
  でも一生その子にお金を与え続けられる訳ではないしそれはその子達の本当の意味での幸せに決してならないから。
 生活レベルが格段に違う、先進国と途上国の格差を日常的に目にしている自分に何か出来ないはずがない。
  そんな感覚を日本に帰ると、時間と共に麻痺させてしまうことがすごく嫌な部分でした。
 自分は帯同しているだけであって、素人が国際協力の分野に入って行ける訳がない、変な負い目をずっと背負っていた気がします。


 じゃあ自分にとっての国際協力とはなんぞや、はそれもさておいておきましょう。
 日本に居た期間、実際には出産と子育て、更に岩手も東京も新しい地域に住んで町自体と周りの環境、新しい人間関係を作ることに疲れていたし、物理的にも勉強に充てる時間もあまりなかったのは事実。
 個人的なことには、いつ在外になるかもならないかも分からない状態で何を目的にすればいいのかさえ自分でも不明。今も同じかもしれない。
  在外でも奥様は別に開発に関係ないお仕事に就く人もいるし、自宅教室を開いたって良い訳だし、他にも道はあるのでしょう。
  夫の方向によって常に目まぐるしく生活状況が変わる中で自分の軸を考えることは常に後回し。その場をとにかく楽しむこと、自体が自分の目標でした。
  でも自然と興味が行くのは、ここにある現実。
 至って自然なのかもしれない?今回プロジェクトを立ち上げて気付いたのは、 自分が日本に居た時に少なからず感じていた日本に居ると何もできない、という無力感。
 できないわけじゃないんだけれど自分で積極的に動かなければきっかけがない。
 現地に居るからできる、という強みは絶対ある、と再確認した。
 日本に居ても、あなたが代わりにやってくれるなら任せたい!任せるよ!っていう同志がたくさんいることに力を感じた。 いると気付いたからには、そういう想いを繋げる人になりたい。そんな想いに気付かせてくれた初めての挑戦でした。

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