「ともだち」という関係
支援、という言葉は、あまりINSHUTIにはマッチしません。そしてあまり使わないようにしています。
支援する側・される側の関係が、純粋な1人の人間対人間の関係とは、違ってしまうと思うからです。
これまで、アフリカに初めて住むことになった時から現地のことを知りたくて、NGOのインターン、駐在配偶者たちで立ち上げたNPOの代表など、普段の生活を通して現地でできる支援活動を体験させて頂きました。
初めてのアフリカ生活はザンビア。HIV /AIDSとはどんな病気か、調べるところからスタートしました。
感染者のお宅を訪問する業務や感染防止対策を啓蒙するワークショップを手伝わせて頂いたり会議の議事録をとることで内容を把握していったりと、そういった活動から私のアフリカとの関わりが始まりました。
現地の現状を知り需要や課題を見聞きすることはできるけれど、自分一人が出来ることってそんなに大きくはありません。
少しずつ活動の範囲を広げ、瞬く間に1週間で50リッターのガソリンを使ってしまうほどあちこち自分で動いて活動していました。
知らないことを知ることも、日本人として関われるシーンがどこなのか、ということを自分なりに考えることも興味がありました。
ザンビア人で一番身近にいたお手伝いさんとは一番よく喋りました。
ローカルラングエッジを教えてもらったり、家族のことを教えてもらったり子どもに会わせてもらったり。
そんなお手伝いさん、とってもいい人だったのですが、時々我が家の洗剤やお砂糖がすごいスピードで無くなっていくのです。彼女が一緒に使っていたんですね。
そのことに私は当時とても腹を立てました。お給料はしっかりお支払いしているのに、私たちの所有物を無断で持ち帰るのは盗みと同じだと。
そうなんです。でも、彼女からしてみると、それは困った生活をしている自分との分かち合い。「共有」だったのです。
アフリカ生活もだんだん長くなってきて、もし自分が彼女の立場だったら・・・そう考えると、生活の全てを知っているお手伝いさんが、「こんなに裕福な暮らしをしている外国人、少し分けてもらったところで痛くも痒くもないでしょう?」と写ってしまうのは当然なのではないか、そう思えるようになったのは2カ国目での生活の時でした。
外国人駐在者の家には、夜間警備のため、24時間警備員が常駐しています。
警備員の人に夜ご飯を出すのですが、2カ国目のマラウィで住んでいた家は大家さんの母屋の隣のゲストハウス。
大家さんが、「おなかい~っぱいになるようにいつもご飯をたくさん食べてもらうのよ」と言っていました。
お腹が満たされると悪いことはしません。持っている人が、持っていない人と分かち合う、それってとても素敵ですよね。
元々私自身、通っていた小学校の活動で“お弁当のおかずを我慢してその分を募金する”という奉仕活動をしてきたこともあり、持つ人が足りない人と分かち合う精神を学んできました。
なので、自分の余すものを国際援助を運営している団体に寄付し、現地でのオペレーションを任せる、というのが、自分にできる支援の形と思ってきました。
信頼できる国際援助団体にお任せするということも大事なことで、その募金によって現地での活動を可能にし、多くの受益者が国・地域レベルでプロジェクトによる支援を受けることが可能になります。
支援によって現地の人々が自立していくことが一番の目的なので、その自立支援を自分も団体と協働で支えているという意識での国際協力の形になるでしょう。
金銭や物の支援に関してですがこれは、支援を受けたまま一生過ごしていけるのであればいいかもしれませんが、そうはいきません。
自立無しにしての支援継続は、できたとしてもせいぜい1人が1人を支えられるかどうか・・・といったところでしょうか。
そして、単に金銭的な支援をすると、「する側」と「してもらう側」は“ともだち”関係にはなれないのです。
私は、アフリカの人たちとともだちでありたいと考えているので、そこに自立を「支援」しているつもりはなく、おともだちと一緒に活動している、というのがINSHUTIです。
遠距離恋愛は別なのかもしれませんが、物理的に大きな距離が空くといくらSNSやインターネットが普及していても心の距離が離れがちです。
現地のともだちが、「外国から来た人達は、ここでの任期中は関わりがあっても、帰国してからもそのまま関係が続いていく人は滅多にいない。でもYukoはこうして帰国した後も変わらない関係を築いてくれて、ありがとう」とよく言ってくれるのですが、そっくりそのまま私も彼女に同じ言葉を返します。
来年こそは、現地に住むたくさんのおともだちと対面でぜひ再会を果たしたいものです。